以下 内田 樹のブログより
ご飯を作り、お掃除をすることの英雄性
掃除については、これまでブログに何度も書いたが、
これは「宇宙を浸食してくる銀河帝国軍」に対して、
勝ち目のない抵抗戦を細々と局地的に展開している共和国軍のゲリラ戦のようなものである。
この戦いの帰趨は始めから決まっている。
部屋は必ず汚れる。
本は机から崩れ落ち、窓にはよごれがこびりつき、床にはゴミが散乱する。
局地的に秩序が回復することはあっても、それはほんの暫定的なものに過ぎない。
無秩序は必ず拡大し、最終的にはすべてが無秩序のうちに崩壊することは確実なのである。
けれども、それまでの間、私たちは局地的・一時的な秩序を手の届く範囲に打ち立てようとする。
掃除をしているときに、
私たちは宇宙的なエントロピーの拡大にただ一人抵抗している「秩序の守護者」なのである。
けれども、この敗北することがわかっている戦いを日々戦う人なしには、
私たちの生活は成り立たない。
中略
「プロデューサーの仕事はゴミを拾うことです。
全部が見えている人間にしかゴミは拾えないのだから」
とさらに深遠な言葉を続けられたのである。
「お掃除をする人」はその非冒険的な相貌とはうらはらに、
人類に課せられた「局地的に秩序を生成するためのエンドレスの努力」
というシシフォス的劫罰の重要性を理解している人なのである。
以上引用
自分はご飯を作る人ではないので、そこは触れられません。
でも、作っていただいたものは最大の賛辞とともに感謝して、
ありがたくいただくことにしているつもりです・・・。
一方、ボクは掃除する人である自負があります。
もちろん、全部が見えているなどと言うおこがましいものではなく、
なるだけ遠くが見通せるように心がけているだけですが・・・。
昔、部長にボクの掃除に対する執着ついて、
質問を受けたことがありましたが、
うまく説明できなかったことが、
ここに見事に説明されてあったので記しておこうと思います。
このエントリーを読み、
シシフォス的劫罰の重要性を、
早く子供たちに理解してもらえるよう教育するべきだと思ったわけです。
そう、チャールズ・インガルスのようにネ!
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